茨城やばい




従兄弟(オレンジレンジ十字軍の熱狂的ファン)の挙式披露宴のため北関東は茨城県まで足を運んできたのだが、茨城は本当にアシッドだった。


まず本屋に本が無い。


早く着きすぎてしまい、披露宴会場のある駅で一時間半ほど空いてしまったので駅ビルに擬態した藁ぶき小屋で本でも買って読もう、と画策し実行したのだが、何がどうなっているのか本が本屋に無いのだ。漫画と雑誌しか売ってないのだ。「そんな馬鹿な」と僕は狼狽し、ここは都にはよくある漫画専門店かと思ったのだが、よくよく見ると隅っこのほうに僅かながら『半島を出よ』や左翼の人の書いた本が置いてあるのが分かった。その隣にNANAが平積みになっていた。


全く意味が分からず困り果てた僕は仕方なく店員に高圧的に命じスティール・ボール・ラン最新刊を梱包させ、うろたえながらロッテリアに入り、金銭を支払い、げんなりする味のハンバーガーを頬張ったのだった。本来なら現在のような猛暑最中にジャンク・フードは避けたいのだが、駅前にはジャンク・フード店とサラリーローン店舗しかなかった。ジャンク・フード店に入る前にコンビニで産経新聞を買おうと思ったらスポーツ新聞しか置いてないかった。駅前には野暮ったい若者が二人、ギターを持ち、何かの冗談かと思う下手さでゆずのカバーを鳴らしていた。


高架になっている駅のホームから目視できたのは、パチンコ屋、スロット屋、サラ金、大型デパート、ゲームセンター、カラオケ屋だった。時間をもてあまし入った大型デパートの中では親子連れがジャンクフードを美味しそうに食べ、本屋は駅前の店と似たような状況で、B@BOYファッションが中心に売られていた。あまりこういう言葉を使い、こうした姿勢は取りたくないのだけれど、『程度』について考えてみろ、と突きつけられたようだった。


こういう下手に東京が近く、開放的であると錯覚を持ってしまうが実のところ極度に閉鎖的な土地で育ったら、なるほど勉強もスポーツも造形も抜きん出ることが出来なかったような、スクール・ヒエラルキーの上部に入れなかった少年少女は、B☆BOY軸を採用するか、反動としてマイナーやサブカルやオタクに走りそれに自己を押し付け周囲のB$BOYを内心見下しながら生きていくか、引きこもるしかないのだろうなあ、と思うと空恐ろしくなった。


ここに住んでいる少年少女は、各々の性質と好嫌に従い、渋谷に、原宿に、お台場に、高円寺に、下北沢に、六本木ヒルズに、秋葉原に行くことは出来るが、実際のところ外には出ていないのだ。景勝旅行と同じだ。ぶどう狩りツアーと同じだ。出かけているだけなのだ。別にそのような半強制的な住み分けは日本全国どこにでもあるのだけれど、北関東のような下妻物語を地で行ってる風土では、それが非常にくっきりとし、あんまりなまでに鮮明だった(実際、下妻の近くだった)。あの映画は別に面白いとも何とも思わなかったけれど、馬鹿げてる住み分けを、ある部分はダイレクトに、ある部分はオブラートに穏便に、ある部分は巧妙にひた隠しにし、表してるところは感心した。


僕はどうしても物事のダウナー面、ネガティブ面に眼が行ってしまうので、上述のように僅かしか選択軸が無く、それに外れると他の軸から完全に見事に排除され、どうしようもなくなることの恐怖が蔓延しているこの土地に、ただ怯えるばかりだった。


僕の育った土地も似たようなものだったけれど、僕は幸いにして物事に滅多に執着しない性質に育てたため、うんざりするような面倒で苦痛そのものな居場所作りに周囲ほど頓着しないですんだ。みんなは大変そうだった。


ここに住んでいる少年少女たちは、勿論のこと人によって、ドライであったり、DQNであったり、厭世的であったり、ジョッグスであったり、トレンチコートマフィアであったりするのだろうけど、いずれにしても凄まじい不自由の中で大変な目に遭っているのだ。多分。それは結局のところ社会に出ても構造としては全く変わらない。僕はそうした苦しんでいる、うんざりしている人を見るのは好きではない。そこで、早いところこの国を脱出し、イノキアイランドかさだまさし島に移住、彼の地で『蝿の王』か『女王の教室』みたいな空間・環境を作り出し君臨しながら暮らしたいです!(2006年の目標)