本邦は十年以内に三国時代に突入する。





あなたの名前は何だろうか? 僕の名前はいたって普通だ。26歳としては、ごくありふれた、どこにでもいる、普通の名前だ。あなたの名前もきっと”普通”で”常識的”な名前だろう。


思えば数年前、『的場浩司の娘の名前は”宝冠”(てぃあら)』と知り、芸能人頭おかしいわぁと絶句したものだったが、諸君はご存知だろうか? 既に我々の常識からはかけ離れたスペシャルな名前を授かった恐るべき子供達が日に日に増え、刻一刻と成長している現状を……。
まず、下記のURLを見てほしい。『一』は、ソースは不明だが、不特定多数の人間たちが調べた、出会った名前群だ。『二』は、若いママさんパパさんたちが自分の子供の名前を披露しあう掲示板だ。


一、http://akid.s17.xrea.com/urlcache.php?file=http://jt05.hp.infoseek.co.jp/a1/name.html
二、http://mamastar.jp/bbs/onamae/




ご覧頂いただろうか? いやあ、もう、何が何だかである。ただし、世代差による常識の違いやスダンダードの相違などは当たり前であり、一年生まれが違えば根底にある価値観の源流は別物と思って差し支えないだろう。ましてや四半世紀生まれが違う人間の名前だ。我々の世代の常識のみを物差しとして、子供を指し、「ハム太郎m9(^Д^)プギャー」というのは早計・軽率と言うべきであろう。


しかしながら、親は別である。一体どうなってんだ。お前ら子供がずっと子供のままで大きくならないって思ってないか。名前負けの確率考えろ。子供の名前に託す意味や志が自分の好きなブランド名やキャラクター名で本当にいいのか。何食って育ってきたんだ。プリオンか。


というようなことを、もうこういう名前を堂々とつける親に言っても馬耳東風であり逆に「俺(あたし(「私」では無く「あたし」なのが重要)の先端的な感性が分からないなんて…可哀想…」とこちらが前時代的な悲惨な感覚の持ち主と認定されてしまうのが関の山である。


つまり我々に出来るのは、友人・知人・親戚などに赤子が生まれた際に、そうした”異常”の他に形容できない名前がつけられないよう監視の目を絶やさないことくらいなのだ。発見したら、それとなく遠大に周囲を抱き込み包囲網を形成し、心変わりを起こすよう画策することくらいなのだ。


さて、ここで文題の「[予言]本邦は十年以内に三国時代に突入する。」の説明に入ろう。我々がどんなに頑張って「辻モニ(つじもに)ちゃん」「光宇宙(ぴかちゅう)ちゃん」などの何が何だか分からない命名の流れを止めようと思っても、それは恐らく無理である。これは既に一つの巨大な潮流であり、多分、今の時点での普通の名前群は残念ながら影を潜めていくだろう。


そこに代わって勃興するのが、上のURLで散々見ることが出来る『DQNネーム王朝』『オタクネーム帝国』だ……。『(現時点で)普通の名前国』はいずれ地方の一軍閥に転落するだろう……。


正直なところ、このようなことを高言している僕でさえも『DQNネーム』と『オタクネーム』の区分、選別は難しく苦心しているのだが、まぁそこは親の顔を見て偏見で判断してください。まだサンプルが足りない。そして彼ら彼女らがまだまだ子供に過ぎない。というのも、近い将来、そう、彼ら彼女らが学校にあがり物心つきある程度知識をつけてからが、本当の三国時代到来の幕開けだからだ。


ある暑い夏の日、健一郎と名づけられた少年は気づくだろう。「えっ! あいつの名前、”十字(クロス) ”!? 軍じゃん!!」と。


そして十字(クロス)君は「あらら、健一郎?地味すぎwwwwww。そして向こうのあの異常な化粧と日焼けのブスは”紗音瑠(しゃねる)”とな? 親の顔が浮かびますなぁ」と。


そして紗音瑠(しゃねる)ちゃんは「十字(クロス)すっげーキモいんだけど。同じ空気吸いたくないし。名前オタくさいし。見た目まんまだし」と。


つまり、名前の意味と、漢字の意味と、名前と外見の相互関係と、名前と性格気質の相互関係が解かる瞬間が訪れたとき、子供達は自分の所属を知り、勢力を形成、三国時代が始まるのだ。名前によるクラスヒエラルキーが現れるのだ。


大抵、子は親に精神的にも肉体的にも似るものである。暴力・直接的な恫喝能力・身体能力に長けたDQN名群は魏として当然、密集しクラスを支配するだろう。時代はまだまだオタクには厳しいので、オタク名群はDQNたちにいいようにあざ笑われ、金銭物品を奪われ、名前をからかわれ(DQNは自分の名前は当然棚上げ)北斗の拳の農民状態になることは想像に難くない。しかしながら人数の多さと突発的で陰惨な復讐の効果により、呉を確保するだろう。そして普通名群は、本文では三国時代云々と散々言っているが、実際のところ蜀どころか公孫恭とか姉小路家とかああいう悲惨な扱いを受け、空気として扱われるだろう。最後に穴痕打(あなこんだ・女)ちゃんや振門体(ふるもんてぃ・女)ちゃんといった、御両親が完全にお壊れになられているとしか思えない人たちだが、触らぬ神に祟り無しとばかりにアンタッチャブルとして意外と平和に暮らしていくだろう。


人間は未知のものに名前をつけることによってその存在を規定し、あらゆる怪力乱神を踏破してきた。しかしその命名という発明を自分たちに向けることにより、過度な所属意識と、個人の責任を共同体に転嫁するというウルテクを生み出した。そして、そのウルテクは無数の災厄を招いてきたことは歴史が語る通りだ。21世紀初頭の日本では、個人名に対する価値観の絶望的な相違により、膨大な数の悲劇・残劇が産み出されることだろう。ナンマンダブ、ナンマンダブ……くわばらくわばら……。